祖母

正月に実家へ行った時、祖母が仏壇のろうそくに火を点ける為のマッチが残り少なくなったと言っていたのをある時思い出しマッチを買った。
そして母を介して祖母の手に渡ったのが1日だった。
2月1日はちょうど祖父の命日。
祖母からマッチをありがとうと電話がかかってきた。
命日に届くなんて神様が言付けてくれたのね、なんて言って喜んでいた。


祖母とはたいてい長電話になる。
けいけいの最近のことや新しい車のこと、いろいろ話した。
祖母はひどく心配性でいつもけいけいのことを「男の子だから思いもよらない事をするよ」と言い、ソファーによじ登りソファー後ろの窓から落ちないかを心配し、室内の段差で転ばないかと心配しベランダに出て柵の隙間から落ちないかと心配した。
しかしこの日の電話では「miosnestはよくやっているから安心ね」「けいけいはよい子ね、成長が楽しみね」と言ってくれた。
「今月中旬に実家に泊まりがけで行く予定があるから、その時遊びに行くよ」と言うと
「けいけいはお正月よりかずい分変わったでしょうね。楽しみにしてるね」と言っていた。


それから3日後、祖母は倒れてしまった。
心臓が悪いだなんて初耳だった。
緊急手術を受けたが、意識が戻らないまま二日後には脳死を宣告された。


面会に行った。
祖母はたくさん管をつけられて横たわっていた。
可哀想だった。
手を握ったら、むくみが出ていてパンパンに腫れていた。
脳死」って言葉は知っているし理解もしているつもりだけれど、いざ身近で目の当たりにすると「脳死」って何なのか解らなくなってしまう。
もう目をあけることは無いのに(人工呼吸器によって)呼吸をしているし心拍もあるのだ。


脳死から一週間経った日の夜「今夜がヤマらしい」と連絡が入った。
けいけいの世話を疎かにして病院に行っても祖母は喜んでくれないと思ったが、わたし自身後悔したくなかったのでけいけいに夕飯を食べさせた後抱っこして病院に行った。
病院には父母や伯父母にいとこ、妹とよししも来ていた。交代で面会した。
祖母の心拍は弱くなりつつも安定してきたようだった。
途中でけいけいは母に実家に連れ帰ってもらい私と父は午前3時過ぎまで病院にいたが、引き続き心拍が安定していたので皆一時帰宅した。


翌朝、遅めの朝食をとっていたら、病院から電話があったので父は飛び出していった。
追ってわたしと母とけいけいも病院に行った。
祖母は14日のお昼前、静かに息を引き取った。


あの1日の電話が最後になるとは夢にも思わなかった。
このところ元気だっただけに、本当に残念で、とても寂しい。
ただ、心配性の祖母に最後に「安心だわ」と言ってもらえたことは救われる思いだ。